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子供の頃「お話出てこい」というラジオ番組を良く聴いていた。
出てこい、出てこい、お話出てこい〃ドンドコドンドコドンドコドン♪
とても楽しみで、始まりがそんなだったような記憶がある。

と言っても自分で選んでいたわけではなく
今だと母親が家事をしている間に「おかあさんといっしょ」を
見せられているような感じ?
それが物語好きになった第一歩。

小学生になると「岩波少年少女文庫」
子どもの他愛ない遊びで
指で口を横に開いて言うと「文庫」が「〇〇〇」になる、それ。
子どもってどうしていつの時代も〇〇〇が好きなのかな。
ケラケラ笑いあって、まぁ楽しいっちゃ楽しかったけど。

小学校時代、「自習」という時間があって
私はその時間がとても好きだった。
なぜならその時間は図書室で自由に本を読んでいて良かったので。

近所の「でっちゃん」(名前が秀人)は
授業中時々ぼ~~~っとしていて
「白昼夢」を見ているとか、
自分の母親を「ママちゃん」と言ったりするので皆によく笑われた。
でも彼の家にはサザエさん全巻が完備されていて
私は結構仲良しで、しょっちゅう遊びに行っていた。
(動機は不純だったかも?)
でっち、今も元気かなぁ?

他にもドリトル先生シリーズを借してくれたミサコちゃん。
夢中になって、たぶん本人よりも次々に早く読んでしまったかと思う。
ありがとう、ミサコちゃん。

とにかく子供の頃の私は
「そこに山があるから登る」でなく「そこに本があれば読む」。
ほぼ手当たり次第。
母が購読していた「主婦の友」、
家業の医院の待合室に置いてあった週刊誌、
それらも読み漁ったので
結果、私はかなりませた子になった。

学校の図書館も勿論活用したが、昔は「移動図書館」というのも町に来て
定期的に何冊か本を借りることが出来た。
母と一緒に行って借りるのだが、自分の分はすぐに読んでしまって、
母の借りてきたものも次々に読んだ。
調べたら今でもあるみたいです。
キッチンカーみたいな感じ。↓

「本の虫」 ⑤_b0119525_13573050.jpg

中学時代からは兄が読んでいたミステリーにもかなり影響されて
ホームズシリーズ、アガサクリスティ、エラリークィーン、ヴァンダイン、
ほとんど読んでいると思う。

だから何だ、ってことなんだが
読むことは書くことにつながる。
本を読むだけがいいってわけではなくて
何か好きなことが一つでもあると毎日が楽しくなる。
そこから得るものは計り知れない。

残念ながら夫や息子たちはそれほど読書に興味はなくて
私とは違う思考法や実社会での経験を持っている。
ある意味私は社会的に欠落している部分があると思うので
それを時々心苦しくは思ってはいるけど
ま、いいか。(今さら)

ちなみに夫と文学の話はしない。
好きなジャンルが全く違うし
なんたって「秘密の花園」(バーネット)を
アダルト本だとばかり思っていた人なので・・


☆美味しいものを食べるのは二人とも好き♪
(甘辛党の別はありますが)
「本の虫」 ⑤_b0119525_20370290.jpg



勝手に今年中に100記事を書くと決めてはみたものの
どうでもいいような個人的なことをつらつらと書き続けるのも
実際の所どうかとは思う。
でも私は本当のライターではないので読者は自分。
自分が書きたいことを書く。
そうなんだ、私はジッポではないんだ、
目指すのは100円ライターなんだ!

と、よくわからない言い分なのだけど
「ひとりよがり」「自己満足」の意味はわかっているつもり。

ところで、
私がブログをはじめたきっかけ、それは。
・母との同居と共にわんこ(ジーナ)を迎え入れたこと。
・JALの懸賞に当たって初めてコンパクトデジカメを手にしたこと。
・犬友として親しくなった某ゴンちゃん飼い主から
犬ブログやってみれば?と手ほどきを受けたこと。
そして2007年7月に「ジーナのおきらくごくらく」がスタート。

デジカメを持つ前はフィルムカメラのプリント写真で
こんなふうにアルバムを作っていた。↓

100円ライターへの道 ④_b0119525_11124111.jpg

もともと書く事と写真は好きだったので
ブログづくりはとても面白かった。
母も50年の暮らしを捨てて東京に来たのは大変だったけど
私もそのための引っ越し作業を何回もして(自分のも含めて)
今まで通っていたクラブをやめて、そこでの友人関係も断って
新しい土地と生活に馴染んでいくためにそれなりの努力をした。
(もちろん夫も)
そんな中でネットで得られた「新しい関係」のやり取りは
新鮮でとても楽しくて。

十何年かの間にはいろいろなことがあって
「元気で楽しいブログ」を書けない時も多々あった。
ネタづくりもあって良く出かけたので「遊んでるねぇ」とか
母との旅行も多かったので、
「母をダシにして自分の行きたいところに行っている」
と思われたりもした。
勝手に思え。

わが家の暮らしで一番の功労者はジーナだったけど
いなくなってもうすぐ3年。
この頃は身辺もようやく落ち着いて心のありようも安定してきた。
なので今度は自分の事もぐだぐだ書いていいような気になっている。
なんたって100円ライターなんだから
ガス欠になるまでは好きにやらせてもらいます!






わが兄は寡黙というか非常に口数が少ない。
連絡はメールが多いが返信はほとんど一行。
面と向かって話していても同じ。
部屋中に蔵書があるくらいだから語彙は豊富なはずなのに
出てくる言葉は
「あー」とか
「わかった」。(もういい、という意味)
語気が強いのでまるで怒られているような気になる。
そこで私が「もう少し口角を上げる練習でもしたらどうか」と
憎まれ口をきいたりするので余計にとりつくシマがない。
親の顔が見たい。(見てるけど)

母と一緒の時も同じらしく
「〇〇(兄の名前)はまるで電報、手紙でなくてもいいから
せめてハガキくらいには・・」と母は嘆く。
それでも息子可愛さに「優しいところはある」と庇ってはいるが。

兄よ、出し惜しみしないでもう少し多くの言葉を発したらどうだ?
聖書にも「はじめに言葉ありき」と書いてあるではないか。
(注:これの意味には諸説ありますが)
会話がないと余計に寒いよ。

一を聞いて十を知れ? ③_b0119525_12491825.jpg

とは言え、その母もおしゃべりなタイプではなく
どちらかというと内向的。
小学校は福島、その後女学校時代は広島、京都と移り住んでおり
何しろ情報のない時代のこと、土地〃での暮らし方、
言葉がまるで違うのでかなり戸惑ったらしい。
たとえば京都に引っ越してすぐにお使いを頼まれたものの
「〇〇をください」
ー「おへん」
「〇〇ですけど・・」
ー「おへん」
しまいには「ありませんッ!」と怒鳴られたとか。
学校で方言を笑われることもあり
そんなこんなでだんだん口が重くなってしまったのだと、本人が。
娘の私はわりと平気でどこへでも出かけるし
母は自分にはとても出来ないというが
一人で外ご飯を食べるのも大して問題ではない。(誰に似た?)

↓ 新潟ひとりランチ
一を聞いて十を知れ? ③_b0119525_13134930.jpg

一を聞いて十を知るのは難しい。
むしろ一を聞いたら十を問いたいところだが
この頃は行く度に兄の本を何冊か借りて来るので
勧めてくれるものとかで兄の趣味の傾向が大体わかる。
ということで
これも想像力を養う修行のひとつと今は思うことにする。
ちなみに弟とは年が離れていることもあり
本人は「姉に逆らうと恐い」と強く思っているようなのでわりと素直。