憧れの人
ブログ友達、某Mさんの情報により
これは行かなくちゃと思い横浜まで行って来た。
須賀敦子さん、エッセイスト。(1929~1998)
初めて読んだのはずいぶん前だが
作品タイトルの地名に興味があったという
ただそれだけだったのが
何冊か手に取るうちに
洗練された文章とこの方の人生に心惹かれるものがあった。
おおまかに言うと
恵まれた子ども時代、パリへの留学と挫折、
再びイタリアへ行ってからの結婚生活、最愛の夫の早すぎる死、
帰国後の翻訳者としての活動を経て
61歳にして初めて「ミラノ霧の風景」を刊行するも69歳で病没。
この方はずっと自分は「ものを書く人になる」と思い定めていた。
恥ずかしながら私も、
書く人になりたいという思いを心の底に漠然と抱いていた。
でも、
非凡な才能を開くための努力を惜しまず強い意志を持った人が
自然に花開くがごとく夢をかなえるのと、
ただの遊び人の凡人の間にはとてつもない隔たりが・・・
初めての展覧会とのことだが
膨大な資料の数々、展示品の充実度にも
よくぞこれだけ集めたものだと感服。
主催者の言葉ではあるが
いつも「自分に合った靴」を追い求めて歩み続けた
須賀敦子さんの生き方とお人柄を
たくさんの写真や手紙の中に見出すことができた。
良い展覧会だった。
これは行かなくちゃと思い横浜まで行って来た。
須賀敦子さん、エッセイスト。(1929~1998)
初めて読んだのはずいぶん前だが
作品タイトルの地名に興味があったという
ただそれだけだったのが
何冊か手に取るうちに
洗練された文章とこの方の人生に心惹かれるものがあった。
おおまかに言うと
恵まれた子ども時代、パリへの留学と挫折、
再びイタリアへ行ってからの結婚生活、最愛の夫の早すぎる死、
帰国後の翻訳者としての活動を経て
61歳にして初めて「ミラノ霧の風景」を刊行するも69歳で病没。
この方はずっと自分は「ものを書く人になる」と思い定めていた。
恥ずかしながら私も、
書く人になりたいという思いを心の底に漠然と抱いていた。
でも、
非凡な才能を開くための努力を惜しまず強い意志を持った人が
自然に花開くがごとく夢をかなえるのと、
ただの遊び人の凡人の間にはとてつもない隔たりが・・・
初めての展覧会とのことだが
膨大な資料の数々、展示品の充実度にも
よくぞこれだけ集めたものだと感服。
主催者の言葉ではあるが
いつも「自分に合った靴」を追い求めて歩み続けた
須賀敦子さんの生き方とお人柄を
たくさんの写真や手紙の中に見出すことができた。
良い展覧会だった。
by kawaii47
| 2014-11-10 14:12
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Comments(2)