「馬に食わせるほど書く」という修行中の私、
それにしてもネタがないと書けない。
ならば一番良く知っている自分の事ならいくらでも書けるかと
恥も一緒にあれこれ思い出を辿ってみることにする。
なんだ、結局これは終活用の自分史か?
さて。
本の虫だった少女はどうなったか。まさか運動部で活躍するようになるとは自分でも思っていなかった!
逆上がりは出来ない、ゴムとびも下手。
くるくるまわす縄に合わせてうまく跳べなくて
「お嬢さん、お入んなさい」という掛け声のその遊びには
絶対に入りたくなかった。
それなのに中学からはテニス部。
親からもらった体格と体力が幸いし、練習も一生懸命したけど
部内で仲良くなったユリコさんと先輩男子の品定め(?)を
するのも楽しくて、部活動にすっかり夢中になった。
やるときゃ一直線、高校でもテニス部に入り
なぜか有力選手として試合で勝つようになった。
2年生の時に地区大会で勝って、次は県の大会に出場という時に
私はカトリックの女子校にいたのでちょっと困ったことになった。
それは試合会場(他市)で指定の現地宿舎に泊まるようにとの
指示で、わが母校の教育指針では宿泊遠征はまかりならんと。
(運動部での前例がなかったこともある)
50年も昔のことだからさすがに今はないと思うけど
当時私の学校は学校帰りに本屋に寄るにも「立ち寄り許可証」というのが必要で、
男女交際禁止、生徒同士でも遠出は許可を得るという校則があり
男子選手も一緒に泊まる所に同宿するなんてとんでもないというわけだ。
結果、学校側の寛大なお許し(妥協案)で
私とペアの相棒は先輩の3年生に伴われて現地の教会に泊まらせてもらうことになった。
(晩ご飯はカレーライスだった)
試合はこれを勝てばインターハイ出場というところで負けたが
それほど口惜しいとか残念というわけでもなく。
(勝ってもまた困ったことになったと思う)
翌年最上級生として臨んで
慢心があったのか、盲腸手術というアクシデントのせいもあったか
わりとさらっと負けてしまって今となればあまり記憶がない。
もうちょ~っと(盲腸)だったけど!!
ということで
その時に「教会に泊まって試合に出た」という、特別な経験は
私の「人生すべてネタ(と思え)」に大いに貢献していると思う。
せっかく教会に泊まったのにそこに勝負の神さまはいなかったけど。
その後のテニス人生も紆余曲折はありながら今も続いているし
相変わらずわりとマメに本も読む。
それゆえ私は自称、体育会系(元)文学少女ってわけ。
ちょっと早い誕生日&母の日プレゼントを
嫁ピー(パーソンの略)からもらった。
ありがたや♡
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by kawaii47
| 2024-02-08 14:53
| なんちゃって100円ライター
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