カテゴリ:思い出のウィーン( 11 )

  旅の終わり 

いよいよウィーンとお別れの日がやってきた。
名残は尽きない気持ちと半分はホッとしたような気持ちがまざって、
残りの何時間か、宿近くのモーツァルトガッセをうろついて過ごす。

帰国便はオーストリア航空、14:00発、
成田着は翌日午前8:25予定。

ところが空港へ行ってみたら2~3日前からのオーストリア航空の
ストの余波で人がわんさか、
私たちの予定便も満席であわや席がない!という状況だった。
航空会社持ちでホテル待機という乗客もたくさんいたようだったが、
(内心それでも良かったけど)
私たちはアユミさんが空港まで送って下さったおかげで事なきを得、
無事に機内の人となる事ができたのだった、ふぅ~、、

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行きは食い気のみだったが、帰りはひたすら寝る。
私たちはちょうど非常口の前、スッチーさんの座る席の前だったのだが
離陸してスッチーさんたちがお仕事にかかるとなぜかそこには
若いドイツ人のおにいさんが、、、

はぁ?と思ったら超満席のため、その席も乗客が入ったということで、
じゃあ、おにいさん、一体今まで何処に居たの?と聞くと
コックピットということでした。
(それってありなのか?)

おにいさんは軽食に出たカップ麺の食べ方がわからなかったので
私たちはお湯を入れて三分間待つのだよと丁寧に教えてあげた。
でも、ずっと向かい合わせに座っているのはちょっと苦痛だった。
(着陸時にはスッチーさんと入れ替わって彼はまた消えました、いずこへ?)

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↑ お土産に買ったクマとうさちゃんと小さなバイオリンの飾り

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↑ モーツァルト自筆のスコアのコピー

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↑ 絵はがきのいろいろ

あと、買ったものはコーヒー、チョコレート、皮むき(?)ワインの栓抜き(??)
ばらまき土産のモーツァルトクーゲル、などなど。

   あとがき

6年前の旅のことではあるが、今回こうして振り返ってみて、
私はほんとに楽しい旅をしてきたんだなぁということが良くわかる。
三年分くらい目いっぱい遊んできました。
ユリ子さんのおかげはもちろん、
彼女はほんとは一日に一つか二つのことでいっぱいな人なのに
欲張りな私のために精一杯付き合ってくれたし、
親戚の方々と私との両方に気を使って大変だったと思う。

また、その頃は私も週に何日か仕事はしていたけど、
それではまかないきれない旅費を夫が出してくれた。
そして留守を引き受けてくれた。感謝。
今回こうして旅行記をまとめてみてつくづく私は幸せだったと思います。

記述の中で、夫から
これではまるでおれは女々しい男ではないかとクレームがついたので
ちょっと付記すると、
夫は翌年めでたく(?)転職し、私は老後の思い出のためにもぜひとも夫を
かの地に案内せねばと思い、退職金を使って(!)再びウィーンを訪れ、
この時には行かれなかったザルツカンマーグートで
たっぷりサウンドオブミュージックを偲び、
ユリ子さんには却下されたホイリゲ(郊外のワイン酒場)にも行き、
まさにわたしとしては「見るべきものは見つ」という旅をすることができた。

さらに追記すると、
ユリ子さんがジーナをうちに連れてきた張本人であり、
また過去をさかのぼると、
男女交際禁止の女学校にいたはずの私がなぜか付き合っていた男が
今の夫であり、それにはユリ子さんが大いに関わっている。
ほんとに彼女は「悪友」です。

しかし、わたしは  「懲りないおんな

次の目標が着々と胸に湧いてきているので、
今あらゆる難関を越えるべく準備中。
見果てぬ夢は今後もつづく…
  単独行動~いよいよオペラ座へ 

旅行日程も残すところあと二日、
私たちは最後の夜のイベントにオペラ座(国立劇場)で
モーツァルト「魔笛」を観ることにしてあった。

正直なところ、かなり目いっぱい忙しい毎日だったのでもうクタクタ、
朝ごはんを食べるより寝ていたかったのは事実だが、
その日は実際起きたのが9時半で朝食を食いっぱぐれた。
そんな時に限り、
宿ではユリ子さんの分もサービスの朝食を提供してくれるはずだったとか。
あちゃちゃ、、、

さて、夜の「魔笛」に備えて万全の態勢を整えなければならない。
そこで私たちは半日をお互いに拘束しない自由行動(=放牧?)で
リフレッシュすることにした。

私のした事
・トラム(市電)に乗ってリンクをぐるりと一周する。
 と言っても町はせまいので30~40分で戻ってこられた。

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 ↑ 市内を走る電車

・美術史美術館の見学に行く (その前に王宮庭園の散策)
 ↓ まるで建物自体が美術だと思えるような美術館と博物館

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私とユリ子さんは親友ではあるが、
お互いの持っている資質や興味の対象はそれぞれに違う。
(もちろん共通するものもたくさんあるから友だちなんだけど)
たとえば、ユリ子さんは全くミュージカルには興味がないので
わたしは絶対に行くと決めた「エリザベート」には一人で出かけたが、
その上困ったことに、
私は時として群れから放たれたくなる習性を持っている。
(やっぱり放牧?)

また、当時デジカメを持っていなかった私は大きな一眼レフで
あちこち写真を取り捲っていたので、ユリ子さんは内心
「カメラを持ったメガネのおのぼりさんの観光客」と一緒にいるのが
ちょっと恥ずかしかったらしい。
(注:ユリ子さんは以前にもウィーン経験者)
私は私で、いいじゃん、観光客なんだからと思ったり
聖堂で話しかけようとすると「シッ!」と言われたりで少しむくれてました。
どうせなら「シシィ!」(エリザベートの愛称)なら良かったけど。

ということで、かなり町にも慣れてきたことだし、
心残りをしないためにも、
私たちはそれぞれに 
半日を好きに過ごし、そして思い出を胸に刻みつける!
という行動に出たのだった。

ユリ子さんは自転車でザンクトマルクス墓地にもう一度行きたいなどと
言っていたがさすがにそれはあきらめて、
お気に入りのドブリンガーという専門店で心ゆくまで
CDや楽譜のファクシミリなどを眺めていたようだった。
ふしぎな事にこの旅以降、二人で何処かへ行くと
ユリ子さんはやたらと私に「写真とってあげよう」と言うんですよ、
別に私はむくれて脅したわけじゃないんだけど…

オペラ座

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さて、いよいよ18:30開演のオペラ「魔笛」、
残念ながらこの公演のグレードはそんなに高いものではないという事だったが
なにしろ本場ですよ、本場!!
間違っても居眠りなどしてはいけない。
このために大枚投じてはるばるやって来たんだから。
私たちは平土間ではなく、写真のようなボックス席5番というのを取ってありました。
ドイツ語の辞書まで買って私がネットで手配したチケットよ!
お礼のつもりで叔父様(K氏)の分とあわせて三枚買ってあったので
この日はK氏のエスコートで、
普段めったにはかないスカートで、(ちょっと長めのワンピ)
靴もヒールに履き替えて、
そのために私は大理石の床で滑ってこけそうになったけど
そんなことでくじけてはいられない。
劇場は内部が豪華で、彫刻・天井画・魔笛のシーンが刺繍された大きな
タペストリーなど、雰囲気だけでも来た甲斐があったというものだった。

ところが、肝心のオペラがどうだったかということを
わたしはほとんど忘れている。
たぶん緊張と、
慣れない服がきつかったのと、
途中でお疲れのためK氏がこっくりしていたこと、
(さんざん見慣れていたからでしょうね、きっと)
パパゲーノ役が太っちょでポンポコゲーノだなと思った事、
舞台の背景ががちょっと前衛的で
ほんとはもっと思いっ切りクラシックなのが良かったなとか
覚えているのはそんなどうでもいいことばかり、、、

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 ↑ 左端がポンポコゲーノ  (カーテンコールの写真)

ユリ子さんは良かった、満足と言っていたので
きっと私も同感だったのだと思う。

何で覚えてないのかなぁ、、  
教訓 →  美味しいものはとっておかずに先に食え
  食べた、飲んだ、ウィーン食生活!

さて、当時残したメモ書きには、
食べたものの記述が何て多いんでしょう。
私は基本的に服やバッグなどのブランドにはほとんど興味はないけど、
どこでどんなものを食べるとか、
劇場でどの席に座るとか、
どこそこに行ったらこれをしたいというこだわりは結構あります。

ウィーンに行ったらやっぱりこれを食べなくちゃね、という代表は、
その1:   ザッハートルテ

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 ↑ ホテルザッハーのザッハートルテ

上のは残念ながら絵はがき写真なんだけど、
実際に食べたものもボリュームたっぷり (当時 4.5ユーロ)
メランジェ(ミルクコーヒー)、アイシュペンナーも生クリームたっぷり (3ユーロ)
毎日食べたら確実に太りますね、これは。
(チョコレートは濃厚で美味しいけど半分でいいかな、私は)

その2: ウィンナーシュニッツェル

お店はいろいろとあるそうだけど、私たちはアユミさんにシュテファン教会近くの
フィグルミラーというお店に連れて行ってもらいました。

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 ↑ 颯爽と歩くアユミさんの後ろ姿

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 ↑ アユミさんのご主人ゲオルグ氏が持っているのがウインナーシュニッツェル
      でかい!

私たちは特大を頼んだわけではなく、これが普通の大きさ。
一緒に頼んだマヨネーズポテトサラダ(手前)はお皿全面に広がる海原のよう、
グリーンサラダはそびえ立つ山のよう、
それとマグカップみたいな大きさのグラスに入った白ワインと共に
私は完食いたしました!

毎日食べろといわれたらちょっとお断りするけど、
ここはお肉がお皿からはみ出ていることと、ジョークのうまいウェイターの
太っちょおじさんがお店の名物ということだった。
お肉は薄く叩いたおせんべのようなカツレツで美味しく、
揚げたてにレモンをギュッと絞ってぱくぱく食べたけど、
後からよく考えると二人に一枚で十分だった。
(実際アユミさんたちは仲良く二人で半分っこしていた、もう、私たちったら!)

おそらくやたらにがつがつしていたのは、
二人でいる時はちゃんとしたレストランなどには入らず、
お手軽なカフェでオープンサンドとか、エビのサラダとか、
スーパーやパン屋さんで買って来たものを適当に食べていたからでしょう。

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↑ よく利用したパン屋さん (夕方6時には閉まるので要注意)
 
↓食べたものメモ

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上記イラスト
左下の絵にある
レバー団子の
スープです

写真提供:愛ちゃんママさん
まさにこれが、レバー(ひき肉)クヌーデル(お団子)ズッペ(スープ)
ものすごく大きなお団子がぼこんと入っているコンソメ味のスープ、
これだけでお腹がいっぱいになりそうな郷土料理です。

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↑ 同じく

一度はアユミさんのお宅で遅い夕食をいただいたのだが(上記イラスト参照)
その日はセールだったから忙しくて手抜きなのかと思ったら
夜は大体こんな軽いものだということだった。

私とユリ子さんの名誉のために付記すると、
私たちも一晩だけ夕食を作って皆さんにご馳走しました。
それは日本から持ち込んだ材料と現地スーパーで買い込んだもので作った
手巻き生春巻きと肉味噌、サラダなど。
(手軽といえばこれも手軽か、、)

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↑ ここも連れて行っていただいたレストラン

レストランに行く時はいつも夜遅くで、
この時はフォルクスオパー(国民劇場)にオペレッタを観に
K氏が連れていって下さったからでその後の食事は午後11時頃?
この時のメモを見ると、ピアノのすぐ後ろのテーブルでうるさかった、
ほうれん草のソースのパスタが美味しかった、
だがバターたっぷりでカロリーが高そう、
ソースが甘い、などとつらつら書いてあった。

でもお勘定はお礼のために私がカードで支払ったらしい、忘れていたけど。
やだ、わたしって大人じゃん!?
  素敵な田舎町 デュルンシュタイン

ウィーンに来てはじめて空が真っ青に晴れた気持ちのいい日、
私たちはドライブに連れて行ってもらいました。
行き先はデュルンシュタインという、ドナウ河沿いの小さな田舎町。

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↑途中こんなかわいい町や教会があります

ドライブは快適で、青い空、緑の木々、郊外の道筋に点在する可愛らしい住宅、
ああ、なんてすばらしいの、、
一つだけ不足を言うとすればアユミさんが車の中でずっとかけていたバッハで、
睡眠不足の頭にはバッハから心地良く神は降りてこないことがわかった。
(帰りはラジオからもっとヘンな歌が聞こえてました)

さて、あたりはヴァッハウ渓谷と言うところで、
ドナウ河を遊覧船でクルーズしながら町に立ち寄ったり、
メルクという町にはすばらしい図書館のある修道院もあり、
いわゆる観光スポットになっています。
ドナウ河沿いの山の南斜面にはたくさんの葡萄畑、
これがいずれ美味しいワインになって、飲んで飲んでと言ってくるかと思うと
それだけで私はもう感激にあふれて、、 ??

そしてデュルンシュタインの町で
私は初めて古城ホテルなるものに入りました。
そのホテルはアユミさんが結婚式のパーティーをしたところで、
アユミさんという方はエキゾチックなスレンダー美人、
二回目だか三回目だかの結婚式をそこでしたという果報者で
式を挙げた小さな可愛らしい役場にも案内してもらいました。

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↑ シュロス デュルンシュタインの看板

古城ホテル、なんてロマンティックな響きなんでしょう
私たちはそのホテルのレストランのバルコニーでドナウを見下ろしながら
ゆったりと美味しいランチをご馳走になるという至福のひと時を、、

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↑ なぜか示し合わせたように二人とも赤だった。

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↑デザートだけでこんなにたっぷり。

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↑ 叔父様(K氏)とユリ子さん

ホテルの中もとても素敵で、トイレに行くふりをして
あちこちうろうろしながら写真を撮っても怒られたりもせず、

生まれ変わったら私もぜひこんなところで結婚式を挙げたい。
もし宝くじがあたったら、または何かで大儲けでもしたら、
飽きるまでこういうところに逗留してのんびり過ごしたい。
そんな夢を見て今も古城ホテルに憧れているけど、
一日だけでも夢が見れてほんとに良かったなぁ、、

私たちは一応「研究会活動」の一環として、
帰りの道筋でケッヘルの家にも寄ってもらいました。
モーツァルトの作品にいわゆるケッヘル番号というのをつけて整理をした
ケッヘルその人の家が記念に残っているというので。

この日の私の心情を一言であらわすと
「うっとり」でした。 
帰りはちょっと「うとうと、、」だったけど。
 NIPPON-YAでのお手伝い

前述しましたが、ユリ子さんの叔父様は長くウィーンにいて
ナッシュマルクトという市場の近くで食料品店をやっています。
(食品、雑貨、本、ビデオなど何でもあり)

そしてちょうど私たちが滞在の最中に「秋の大感謝祭」と銘打つ
毎年恒例のセールが開かれることになっていて、
そんな忙しい時にお邪魔していることを私たちは大変申し訳なく思い、
セール期間の初日をお手伝いすることにしました。
それが思いの他、とっても楽しくって!

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↑セール当日のニッポン屋

まず前の晩から、当日試食に出すあれこれの仕込みと準備で
山のような野菜を刻んでボウルにいれて行く。
セール中の試食品のメニューは
・すきやき
・焼きそば
・豚汁
・おでん
・たこやき
・のり巻き
作業の間はお店で働いている別なご家族(日本人)ともワイワイおしゃべりして
まるで私はバザーか町内会のお祭りのノリです。
(つくづく私はお調子ものか)

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↑ 当日の私の担当は焼きそば

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↑ お店は大賑わい(会計主任はアユミさん)

すき焼きは割り下にお肉やネギをいれて煮込む大雑把なやつだったけど
もちろん日本のような薄切り肉は現地には売っていないので、
特別にスライスしてもらったというお肉を使ってました。
それでも日本のに比べるとすごく厚い!

たこ焼きは冷凍のものを電気フライヤーで揚げて、説明する時は
オクトパス・フライと言ってました。(そのままじゃん)

面白いのは(?)一日に何度でも来る人がいる。
その人は毎年来ているということだったけど、何度もただ食いして帰って行く。
いちおうお客様なので文句は言えないけど、
またかと思うとわざと盛りを減らして出したりして、、

バブルの頃は留学生や商社の駐在家族などがたくさんいたそうだけど
この頃はうんと減ってしまってなかなか商売も難しいと
当時も叔父様は仰っていました。
(運送費がかかるから当然値段は高い、日本の倍はする)

ところでお客様は日本人ばかりではなくて現地の人もいるわけで
当然私はドイツ語など話せない。
三つか四つの単語と挨拶語を並べるだけの「へらへら笑う日本人」な私でしたが
女は度胸と愛嬌さ!
(お調子者の上にずうずうしいと我ながら思った)

まず、一番のドイツ語お役立ち単語は、「ビッテ」です。
これは、いろいろな場面で使われる。
お勘定する時に人を呼ぶ、
いえいえどうも、
ちょっとお願い、などの時、
どういたしましてはビッテシェーンなどと言うと丁寧だし、
ビッテは天下の宝刀、
これさえあれば何もビビッていることはない!

今はアユミさんがはじめたおにぎりやが繁盛しているみたいで
ユリ子さんはウィーンへ行きたいばっかりにまたそのお店を
手伝わなくちゃ、と言ってます。
私は手伝わなくてもいいけど、食べにだけ行きたいな。
人前で宗教と政治の話は控えろと昔から言われていますが、
昨日の記事に少しだけ補足。

ヨーロッパの歴史は宗教の存在抜きには考えることはできないし、
日本でも寺が権力を持って国事に口を挟むことはあったけど、
宗教観はかなり違っていると思います。

私は学校時代の必修で宗教と聖書の入り口を少しだけ学び、
当時はそういうものに反発もしたけど、今になってみて
多少でもそうした事に触れられた経験は大きかったと
正直に思っています。

といっても、神社仏閣に行けば手を合わせて拝みもする、
普通に観光もするし、お祓いを受けたりもする。
教会の日曜礼拝に観光客として行くのはほんとはどうかとは思うけど、
と言って宗教や信仰を冒涜する気持ちはありません。

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↑わたしはいつでもお気楽がいちばん、、by ジーナ


学校時代にもクリスマスのミサがあり、
私はそれを一つの「文化」と捉えてました。
クラスの中には洗礼を受けた子もいたけど、
ただの頭でっかちのマセ少女にはまだ愛とか赦しとかの
意味がわからなかった。
いい大人になってもまだ本当にはわからないけど。
でも生活の中でふっと何かを感じたり、自分をたしなめたり
人を思うとかの想像力は養っているつもりです。


ヒンシュクついでに書くと、
司教様もお坊さんも声のいい方は響きますねぇ、
なんだか有難味が増すような気がします、それだけで。
おっと、これ以上調子に乗ると閻魔さまに舌を抜かれそうだ、
くわばら、くわばら、、
  2003年の旅の思い出を記しています

   日曜はミサのはしご

ふつう日曜日はたいていのお店はお休みなので、
ツアーで旅行するとその日は移動日だったり、
お休みでない美術館に行ったりしますが
私たちはミサに行くことにしました。
(ユリ子さんの風邪は大したことなく直ったのでホッ、、)

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↑ 王宮の屋根と青い空

ウィーンの王宮礼拝堂は小さいけどとてもきれいで
何しろ専用の少年聖歌隊がウィーン少年合唱団、
しかもウィーンフィルのメンバーの演奏なのでとても人気が高く、
信者だけでなくむしろ観光客が多いので有名なミサです。
席(有料)に座れない人は外のホールまであふれるくらい。
(始まりは9:15だけど8:30にはもうぞろぞろと人が、、)

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↑礼拝堂の祭壇

ミサの間は三階のバルコニーで聖歌を歌っている少年合唱団は
終ると祭壇の前に出てきてサービスで合唱してくれます。
こんなふうに。

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ぬかりなく席を申し込んでおいた私たちは三列目位をゲット、
朗々とした司祭の祈りの声、
天井に響き渡る聖歌と音楽、
私は信者ではないけど、感動の嵐が吹きまくっていました。
そして祈りの声を聞いているうちに
ザルツブルグで電話した時の夫の様子が蘇ってきて、
私はあふれる涙を止めることができなくなってしまった、、、

電話の内容などはユリ子さんには詳しく話していなかったけど
後から「ほんとに○○ちゃん(私のこと)てわかりやすいねー」と
言われてしまいました。

さて、ミサと合唱が終ると合唱団の中の少年が中庭に出て
ファンサービスで一緒に記念撮影をしてくれる。
群がるあまたの人を押し分けて、
選ばれた天使と私たちは嬉々として写真を撮ってもらいました。
今泣いたカラスがもう笑ったとは
まさにこのことか。
だって小学生の時から憧れていた少年合唱団なんだも~ん。

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↑ 天使とおばちゃん (エリザベートさま)

その後私たちは今度はすぐ近くのアウグスティーナ教会へ行き、
こちらは献金だけでOKで11:00からのミサに途中から入れていただいたのだけど
敬虔な祈りを捧げました。
アウグスティーナ教会は大きく立派で、
宮廷教会として歴代皇帝の結婚式が執り行われるところ、
かのエリザベートが1854年にフランツ・ヨーゼフ1世と結婚式をあげたところです。

もしまた訪れるチャンスがあったら、
日曜日はミサ荒らしで決まり。
父と子と聖霊のみなさん、
罪深い日曜だけのにわか信者をお許し下さい、
アーメン。
 受難のザルツブルグ

ザルツブルグといえば、モーツァルトが生まれた町、
そして時の司教と決裂してモーツァルト自らが訣別した町、
「モーツァルト研究会」を名乗るからには
ぜひともここには行かなくてはならない。
私とユリ子さん御一行は二人で列車に乗り、ウィーンから一泊の旅に出ました。

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駅に着いて早速ザルツブルグカードを買い、
(これで大抵のミュージアムの入場、バスの乗り降りが自由にできます)
気もそぞろに町へ向かった我々に、
ザルツブルグの町は冷たかった、、、
これはモーツァルト、否、コロラド司教のたたりとしか思えない。

たたりのあれこれ:

その1: 行きも帰りもバスを間違えて結局あわてて降りて歩くはめになった。
その2: みぞれ混じりの強い雨と風で、ユリ子さんが風邪をひいてしまった。
その3: 途中で見つけた公衆電話で家に連絡をとったところ、
      夫の様子が尋常ではなかった。
その4: いくら探してもモーツァルトが司教と決裂した時の謁見の間が
      見つからなかった。
      (どうやら私たちも司教に拒否されたようだ)
その5: 列車の切符が往復切符だったことに気づかず二重買いしてしまい、
      その払い戻しにさんざん手間取った。
      (つまりうまく説明できないので)

でも、ザルツブルグはとても趣のある小さな町で、
世界の中で行った事のある町の私の好きなベスト5に入ります。
というのは、この後再び私は夫とこの地を訪ねまして、
ちゃんと謁見の間にも入れたし(どうも改修工事をしていたらしい)
お天気も良かったし、美味しいものも食べられたし、
今度は全然たたられることがなかったので!

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↑ モーツァルトの生家

以下、記録のために書き残します。
2:の追記
熱が出はじめたユリ子さんと私は夕食用にパンやビールを買って、
夜遊びもせず早々にホテルに入ることになった。
ところが、ヨーロッパのホテルと言うのはツインと断って指定しないと
たいていこんな風になっているらしい。

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あのー、わたしたち、そういう関係じゃないんですけど、、
と言ってももう遅い。
しかも旧市街の宿ではなかなか空きがなく、大奮発してやっと取ったホテルだった。
それに、これって何なの?
枕のところに置いてある、赤いハート型の不気味なゴム製品は!?
なんだか気持ち悪くて最後まで使い道もわからずうっちゃっておいたけど
後で聞いたらどうも湯たんぽ(?)だったらしい。

結局、ユリ子さんは早々に寝て、
私はソファーでごろごろしたり、やたら広いバスルームで
久々にバスタブに浸かって遊んだりしてたけど眠くなって、
そろーっとユリ子さんの隣にはべって背中合わせで寝ました。 はぁ、、、

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↑問題のホテル

3:の追記
ところでちょうど旅に出た時、夫は会社のごたごたでかなり心労が続いており
その上留守中に誕生日と結婚記念日を迎えるという最悪なめぐり合わせだった。
それもこれもみんな「魔笛」上演スケジュールにあわせたためです。
電話した時に夫はやたら沈んでいて、
オレはどうなってもいいから
おまえだけは楽しんでこい、
この先二度とまた行けるかどうかわからないから、、
などとおそろしいことを涙声で言うではないか。

えーっ、この人って私がそばにいないとほんとにだめなのかしら!?
と思うと同時に私はなんて悪妻なんだろう、
これではコンスタンツェと似たり寄ったりではないか、、、
と非常に悲しくなりました。
まさに嘆きのザルツブルグ。

帰ってから留守を頼んだ次男に、
もうお父さんの世話はこりごり、
これからは二度とお父さんを置いていってくれるな、
行く時は必ず一緒に連れていけときつくいましめられました。
(で、次の時は一緒に行ったんだけど、、)

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↑サウンドオブミュージックのロケ現場のひとつ、
  ミラベル宮殿のお庭

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↑ ホーエンザルツブルグ城から見た雨上がりの市街
   (アルバム写真を二重撮りしてるのでちょっとブレております)


電話といえば、旅行中ユリ子さんはおうちにかけたときに必ず真っ先に
「ルーちゃんは元気?」と聞くんですよ。
ご主人とか、息子さんのことじゃなくて。
ルーちゃんは当時まだ生きていたゴールデンのわんこなんだけど。
その時は私、何なのこの人、、、と内心思ってました。
今となれば よくわかります!

そしてそろそろ夫も一人でお留守番が出来るんじゃないかと思うけど、、、 
先ほどを読み直してみたんですけど、
何だかどうでもいいような事ばっかり書いてます。

とは言え、この紀行文はあくまで「私にとってどんな旅だったか」という
非常に自己本位なものなので、ガイドブックを見た方がよほど詳しく正確だと
思われることは省いております。

ところでアユミさんはガイドの資格も持っていて、その試験に合格するには
歴史、語学、いろいろな勉強をしなくてはならないので大変だったそうですが、
私たちは幸いにもアユミさんの個人ボランティアガイドのおかげで
短時間の内に市内(外)の名所、旧跡をあちこち訪ねることが出来ました。

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町歩き、王宮の宝物館、エリザベートの棺もおかれているカプツィーナ教会、
モーツァルトのお墓があるザンクトマルクス墓地、および中央墓地、などなど。
ちなみにハプスブルグ家では一族の心臓はアウグスティーナ教会、
その他の内臓はシュテファン寺院、
遺体はカプティーナ教会にそれぞれ納められているそうです。

またこの旅で思った事のひとつは、
暮すことと旅することの違い、とでも言ったらいいのか、
たとえば叔父様(K氏)たちはいわば移民なわけで、
税金の不優遇、または医療費の高さ、K奥様はモーツァルトと同じ中央墓地で
眠っておられますが、20年前その墓地に埋葬するのがどれだけ大変だったか、
そんなお話を折にふれてお聞きしました。

はるか昔、少女フレンドの特集ウィーン少年合唱団記事とグラビアを切り抜いて
はかない憧れを募らせていたウィーン、音楽の都というきらびやかなイメージだけ
抱いていたけど違う顔も持つウィーン、
たった一週間強でもそこにいてこそ肌で感じるものがあり、
今まで知ることのなかった旅の一面を感じることができたこと、
それは私には発見でした。

町へ行くのにカールスプラッツという駅の地下通路をいつも通り抜けるのですが
そこは、スリ、物乞い、麻薬の売人がいるから気をつけるように、
トイレに行きたくなってもそこでは我慢しなさいと注意を受けていましたが、
毎日行き来していると実際に物乞いの人に声をかけられることもあり、
どんな国や場所でも同じだけど私は気楽に旅する人、
でもそこでこうして生活している人がいるという当たり前の事実を目の当りにして
ちょっとショックでした。
だからといって私には何も出来ないんだけど、、、

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ハプスブルグの離宮、シェーンブルン宮殿はなんと豪華なこと、
何十もの部屋の装飾、意匠、美術品、いったいどれだけ贅を尽くしているものやら、
飾ってある絵画(何の絵だったか?)の中には子供姿のモーツァルトがこっそり
描かれているという宝探し的なものもあります。

私は宮殿敷地内にあるマリオネット劇場で「魔笛」が上演されているのを調べて
まずは手始めにと電車に乗ってわざわざ後日二人でそれを見に行きました。
わかりやすくてとても面白かったけど、
どうもそれはお子様向けにつくられたものらしくて、
幼稚園(または小学校低学年)の団体と一緒になり、
そりゃもうぴーちくぱーちくうるさいこと。
子供はどこの国でもおんなじね、とつくづく思いました。


予告

明日は長野に義母の入院見舞いに行きますのでお休みです。

今後予定

・受難のザルツブルグ
・日曜はミサのはしご
・ニッポン屋でのお手伝い
・素敵な田舎町デュルンシュタイン
・食べた、飲んだ、ウィーン・食事情
・いよいよオペラ座~帰途

などを勝手に書き連ねますので、ジーナの出番はまだまだです、あしからず。
   いざ出発~着いた、憧れのウィーン♪ 

2003年10月6日(月曜日)
成田発 10:40 OS 052便にて私とユリ子さんは
とうとうオーストリアに向かって飛び立ちました。
いや、ほんとに万難排してやっと、という感じでしたね。

出発後の早速の私のメモですが、
何ということか食べたものばっかりの覚え書き、こんなやつ。

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これによるとオーストリア航空のおねえさんは全身真っ赤だったと。
制服だけでなくストッキングも、靴も、バッグも赤、
そして愛想はいまいち?
まるでそれじゃ赤鬼じゃないの。
機内食はまずまず、白ワインはグーだがビールはまずかっただと?
その割にはがばがば飲んでたような気もするが。

私たちは食べたり、飲んだり、映画(ジャック・ニコルソンだった)を見たり、
うとうとしたり、12時間のフライトを何とかこなすべく、到着二時間前にも
また出た機内食(サンドイッチ、いなりずし、オレンジ、うさぎりんご)を平らげ、
時差7時間のウィーンにやっとたどり着いたのが、現地時間16:00。

空港にはユリ子さんの従姉妹のアユミさんが迎えに来てくれ、
私たちは興奮を隠せず、疲労の色も見せず、
アウトバーンを一路市内へと向かいます。
滞在中ユリ子さんはアユミさんがご主人と可愛いお嬢ちゃんと住むお宅に居候、
私はたまたまその建物の下の階がペンションだったので
一人でそこに宿泊することにしてありました。
下はそのペンションの写真。

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この建物自体は150年前のもので石造り、
エレベーターはないのでらせん階段を重いスーツケース持ってえっちらおっちら。
運び上げるのは大変だったけど(ポーターはもちろんいない)
ちいさな部屋でもシャワールーム付き、シーツもきれい、窓からは通りの景色。
町まで歩いてもすぐの便利なところです。

ちなみに町なかには一戸建てなどはなく、
みんなこうした古い建物がつながっています。
アユミさんのフロアは130㎡くらいで、3ベッドルーム、2バスルーム、
キッチン、リビングで家賃は当時13万円(相当)とかでした。
(東京の感覚だとこれだけ広いのにまずまずの家賃?)

さて、意気揚々と乗り込んだウィーンの第一印象はというと?
・暗い(黒っぽい)
・寒い
・工事が多くてほこりっぽい

え~!
はるばるやってきた憧れの町なのに?
正直言って最初は何となくガッカリしました。
というのもその日はお天気が悪く、くもり時々雨で風が強くて寒かった、
そして実際に(都市部にありがちな感想だけど)石の建物ばかりだと
色彩に欠ける。しかも秋というより冬の感じだし。

でも、翌日から自分で町を歩いてみると
だんだんその気分は払拭されていきました。
だって、普通に歩いているこの石畳の道を、
かのモーツァルトも歩いていたわけですよ、
この手すりも、階段も、壁も、さわっているかもしれない。
何よりこの同じ空気の中で生きていたわけだし。

ヨーロッパのいいところは普通に古いものが残されていて、
それが何百年もの歴史を持っているのに
普通に人々がそこに暮しているのが当たり前、
そういうところじゃないかと私は思います。

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ウィーンの町のシンボルであり、
モーツァルトが妻コンスタンツェと結婚し、
また死後の葬儀が行われたシュテファン寺院。
葬儀の後、棺おけが運び出されたという扉は裏手にあります。
水曜日の夜には中でパイプオルガンのミニコンサートがあるので出かけました。
(入場料8ユーロはかなりお値打ち)
教会内に響くオルガンを聞きながら祭壇を見ていると
本当に厳かな気持ちになりました。

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右の二枚、有名なホテルザッハーとお菓子のデーメル。
写真の灰皿はザッハーの売店で夫土産に買ったのですが
私は値段を見間違えておりました。(!!)
あまりにばか高い灰皿になったので、いまだに未使用のまま飾っております。

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ハプスブルグ王朝の栄華が残る、夏の離宮シェーンブルン宮殿。
この黄色はマリアテレジアイエローと言ってとてもきれい。
黄色が好きな私のために作られたような宮殿ですかしら?
写真のグラスは土曜日の朝に開かれるナッシュマルクトの蚤の市で買いました。

話が前後しますが、
荷物を解いた後、私たちはちょうど別口で日本からいらしていたお客人と一緒に
ユリ子さんの叔父様に夕食をご馳走になるという栄誉に預かりました。
なんと、日本を出てからその日の5度目の食事。

ウーブルというガストハウスでオーストリア風料理を食べましたが
もう眠くて眠くて、、、
ようやくベッドに入ったのは日本時間だともう朝の6時、
いや7時になっていたかしらん?

翌朝私たちが真っ先に行ったのはH&Mで(日本で言うとちょっといいユニクロ)
あまりの寒さのため防寒コートと手袋を買いました。
二人とも厚手のコートは要らないよねと持ってこなかった、
あれだけ調べたおしておいたのに…

                             つづく