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このブログの読者は多くはないし(少数精鋭?)
この頃は長い文ばかり書いているので
チラッと見て読む気を失せる人もあるだろうから
個人情報ではあるけど名前を出してもいいかと思う。

吉池くんという小学校の同級生からメールが来た。
同じく同級生の桜井くんが昨年末に急逝したとのこと。
ついては彼を偲ぶ会を兼ねた同級会を開きたいがどうか、
という内容だった。
場所は地元、故人の奥さんが昔の話を聞きたいとかで。
いろいろ迷ったが結局失礼することにして返事を出した。

桜井君のお宅には何度か遊びに行ったのを覚えている。
お母さまが「ハイ、お茶」と出してくれたのが
ビール瓶に入った麦茶だったりして、
子ども心に驚いたり楽しかったりしたものだ。

ところで当時の小学校は卒業文集というのを作っていて
(近頃のニュースでは廃止しようという案があるらしいが)
その中に誰それさんはどんな人か、というのを書く項目があり
私のことを書いてくれたのは桜井くんだった。
それは、
すぐ口応えをする
ぎゃふん。
ちょっとぉ~。
少しばかり苦い思い出。
別にそのせいで偲ぶ会に行かないわけではない。
記憶にあるのはノッポで真面目でおっとりタイプだった彼。
謹んでお詫びして、ご冥福を祈ります。

それにしても
小学生にして、あ~言えばこういう、
折り紙付きのアマノジャクだった私ゆえ
夫が「ヒトの言うことは素直に聞け」なんて
今さらいくら言っても無理だと思う。
いい加減あきらめてもらうしかない。
(そういえば、ああいえば上祐、なんて人もいたっけ)

幹事が吉池君ともう一人、自分の母親をママちゃんと呼んでいた
水内でっちと聞いて少し心が揺れたのだが・・
ー故郷がだんだん遠くなった。

口ごたえをしないジーナは
夫の愛人犬だったけど♡
卒業文集 ㉑_b0119525_14485413.jpg





今日は私の誕生日だった。
あぁ、また年とっちゃったな~という気がしないでもないが
産んでくれた人、祝ってくれる人がいるのは有難く、ほんとに感謝します。
この頃やたらと昔の事を鮮明に思い出す。
ははぁ、これが先人たちの言っていた現象かと納得する。
「ひととき」などに投稿している人の年齢を見て
自分より年上だとちょっと安心するのに
ずいぶん若いとほほぅ・・などと斜め目線になったりして
我ながらまったく困ったものだ。

今年になって1月17日に「アロハ記者の書きたくなる文章講座」
(近藤康太郎氏)に行って講演を聞いてからというもの、
長く眠っていた「書きたい自分」に火がついた。
また言ってしまうが、氏が優秀なライターなだけに。
まさに50年の時を経て覚醒したという感じ。
氏は言う、馬に食わせるほど書け、まずはそこから。
それって「走れ、走れ、コータロー」じゃない?!
否、康太郎氏本人を走らせてどうするよ。

その後100記事を書くと決めたはいいが、
そうとなったら書きたいことがいくらでも出てきてしまって
書きすぎ(長すぎ)は文章としてお粗末であるのは承知ながら
筆が(正確に言うとキーボードが)つい饒舌になってしまう。
話すよりも書く方が楽しいのだからしょうがない。
実際、書くことが好き。

誕生日 ⑳_b0119525_19344572.jpg

ところで、私は長野市で生を受けてから
学生時代は東京、結婚してからは滋賀県(大津・草津・彦根)
三重県(津)新潟県(新潟)東京(今の住居で3カ所目)と
引っ越しの多い生活だった。
それなりに出会いと別れは多く、
もちろん楽しいことはいっぱいあったが
後悔する事もいろいろ、失敗もたくさんした。
何が言いたいかというと経験は肥やしになると思っていること。
恥も多い、思い出したくないこともある。
だがこの何十年、どうだったかと問われれば
人に謝ることはあったにしても、自分に失望はない。
その時、その時一生懸命やってたから。
転勤生活は旅でもあり、それなりに楽しかったし。

もちろんいろいろな人に助けられてここまで来たので
無事にこうして誕生日を迎えられたことを素直に喜ぼうと思う。
あらためて周りの人々や夫に感謝します。
夫には、もっとゴルフの日を増やしてもらうとか
妻の手を借りずに自分の楽しみを追求する事とかには
惜しみなく協力するつもり。
(なんたって亭主元気でなんちゃら・・が一番ですし!)

こうして、皆が元気でいられることは何物にも代えがたい。
私も、家族も、友人たちも。
(大変な友人もいるけど、頑張ってくれー)

次の一年をどうにか無事に過ごせますように、と
心から願う誕生日だった。めでたし。

誕生日 ⑳_b0119525_15552447.jpg







モスラの事を書いたら
不思議に高校時代の思い出がたくさん蘇ってきてしまった。
郷愁も含め、一番屈託のない楽しい時代だったかも。
もう一度人生をやり直せるならそのあたりから始めて
今度はもっとちゃんと勉強したい。
やれば出来ると思っていたけど
結局やらなかったからいつまでも出来なかった。
兄はずっと優秀で、弟も神童などと言われた時期もあって
(いまはふつうの人だけど)
兄は学校の保護者面談の時、何も問題がないから
親御さんは特に来なくていいとさえ言われた事もあったらしい。
親はずいぶん楽だったと思う。
その分私があれこれ余計に呼び出しをくらっていたので
トータルで言えばチャラになるけど。

思い返すと私の高校時代はそれなりに多感ではあったが
化粧など誰もしないし(せいぜいがリップクリームくらい)
もちろんガングロだのパパ活なんて存在しなかった。

ある時、先生へのいたずらで
チョークに両面テープをつけて黒板に貼り付けたことがあった。
教師はチョークが取れずに、笑うかと思ったのに泣き出してしまった。
もちろん後でシスターにさんざん叱られたけど
その先生は「スダレ満月」の姪御さんでミス長野にもなったこともある美人。
それはまぁともかく、面白いことも人それぞれなんだなとは学んだ次第。

夫に聞いたら彼は男子校だったけど
早弁の後で牛乳瓶を教壇に向かってゴロゴロ~と転がしたり
部活のランニングの途中で近所の畑のりんごを一つもぎ取って食べたりとか
(どんだけ田舎なんだ!?)
そういうことは、ままあったらしい。

昔の自分は早熟でもあり、稚拙でもあった。
何だかとても懐かしい。
ダメだ、
そんな昔を懐かく思うのはトシヨリになった証拠!!

花の女子高時代 ⑲_b0119525_21543138.jpg

今日は大人になってから知り合った友人と久々にお喋りしてきた。
さまざまな出会いに、感謝。